履 歴 書

令和6年01月01日現在
ふりがな ほしな さだお 性 別 年齢 写 真
氏 名 保科 貞雄 満71歳
ふりがな とうきょうと しながわく にしごたんだ 生年月日
本籍地 東京都品川区西五反田4丁目758番地 昭和27年8月23日
ふりがな いばらきけん みとし わたりちょう 電話番号
現住所 茨城県水戸市渡里町2986番地の2 080-4689-1172


[学歴]
内         容
昭和 34
03 文京区立柳町幼稚園卒園
34
04 文京区立柳町小学校入学
35
09 水戸市立新荘小学校転入
40
03 水戸市立新荘小学校卒業
43
03 水戸市立第一中学校卒業
46
03 茨城県立石岡第一高等学校普通科卒業
54
03 流通経済大学経済学部経済学科卒業


[職歴]
内         容
昭和 54
09 株式会社南町ビル
57
12 自己都合により退社
58
09 株式会社山新
60
08 自己都合により退社
 
09 株式会社笹目宗兵衛商店
平成 07
10 自己都合により退社
09
02 茨城松下設備株式会社
11
09 会社都合により退社


[出生・居住地]
内         容
昭和 27
08 文京区根津八重垣町71番地にて生まれる
文京区小石川柳町29番地
35
07 水戸市砂久保町3区4892番地(新荘2丁目)
37
水戸市上水戸2区3294番地(上水戸3丁目)
41
08 水戸市東町2丁目5154番地(大工町3丁目)
47
09 渡里町(現在地)へ


[免許・資格]
内         容
昭和 58
04 普通自動車免許取得
56
06 防火管理者講習修了
57
04 (同上 上級講習修了)
61
09 初級食品講習修了(茨城県工業試験場)
平成 24
09 普通救命講習修了(水戸市消防本部)



通勤時間  時間 分 扶養家族 配偶者 扶養義務









自 己 紹 介 書

[趣味・スポーツ]
趣 味 オーディオ&音楽鑑賞、スポーツ観戦(TV)
ガーデニング、料理、ホームページ制作
現在休止中 海水魚&熱帯魚飼育、魚釣り、ドライブ、銀塩カメラ、旅行、食べ歩き
ビデオソフト、パソコン、ワイン、プラモデル、装飾品などの収集
スポーツ 現在は買い物時の徒歩&自転車程度
現在休止中 テニス(軟式)、サイクリング、ボウリング
[健康]
持 病 高血圧症、緑内障
(上記は現在も定期的な通院と投薬治療を続けている)
入 院 歴 椎間板ヘルニア、座骨神経痛、変形性頸椎症
投薬を中止 高尿酸血漿(痛風)、高脂血漿、偏頭痛、睡眠時無呼吸症候群
[嗜好品]
タバコ 100本以上/28歳頃まで
(現在) 28歳の時に耳鼻咽喉科にて禁煙を勧められて止めました。
アルコール ビール3本を飲酒後、日本酒(冷原酒)4合またはワイン1本を毎日
(現在) 焼酎25度を水割りにして4合(12.5度)49歳頃から


[家族]
氏 名 続柄 項目 備    考
保科 博 出生 東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷1681番地
    死亡 平成21年4月07日 病死(満87歳)
みとり 出生 水戸市木の折町5213番地
    死亡 昭和46年3月01日 病死(満42歳)
江畑和子 出生 水戸市砂久保町4991番地
    現在 水戸市内原町在住(満73歳)


[自己紹介]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学生時代は趣味のオーディオを活かしてパイオニア、トリオ、サンスイなどのメ
ーカーヘルパーとして、デパートや専門店へ出向して販売促進を行っていました。
季節的なアルバイトではなく年間を通して勤務していたために、大学の講義を受け
に行く時間が無くて卒業に8年掛かってしまいました。・・・・・・・・・・・・
卒業後はテナントビルの運営と管理を主な業務とする会社に就職後、家具販売や
ホームセンターなどを展開していた企業に転職しました。2年後に酒造会社へ再び
の転職をして「営業から管理」まで全般を行っていました。10年間の勤務後、退
職しました。その後、市内の大手企業の子会社に入り商品管理課に勤務していまし
たが、グループの物流改革による管理部門の縮小・委託により退職しました。・・
同年の12月に父親が体調を崩して入院し、その後も入退院を繰り返す状態が続
いたため、約10年間に渡り身の回りの世話などを続けてきました。その間の午前
中に約90分間を利用して買い物などに出掛けたついでに、気分転換とダイエット
を目的に那珂川や桜川を中心としたサイクリングを続け、35kg減の効果(現在
174cm、65kg)を得ることが出来ました。ダイエットは過去に3度のリバ
ウンドを経験していましたので、食事を始めとする全ての生活リズムを変えて時間
を掛けて行いました。病人中心の生活による365日の積み重ねを長期間続けるこ
とができたおかげでした。その期間中に、以前から撮りためた旅行写真の整理がき
っかけとなり、パソコンに熱中してホームページの制作を始めて今現在も続けてい
ます。10年間に渡り買い物などでの用事と、サイクリングに出掛ける以外は病院
か自宅の生活を送っていたことで、友人や知人との交流も全く無くなってしまいま
した。それでも数人の友人や知人が今でも時折訪問してくれ、同級生などの情報や
趣味で交流のあった頃の昔話を語り合ったりするひとときが現在唯一の楽しみとな
っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成22年4月より町内会の班長を務めたことをきっかけとして、町内会活動に
積極参加を心掛けるようになりました。翌年4月からは子ども会が行っていた資源
ごみ回収事業を引き継いだ「台三区みんなの会」の一員となり、25年4月からは
「渡里南地区防犯連絡協議会」に参加し、地域防犯のお手伝いを致しております。
更には26年に発足した「渡里湧水群を活かす会」に入会後、公式ホームページ
の制作と管理を担当することとなりました。27年10月の「渡里地区運動会」に
続いて、12月に開催された「ふれあい渡里まつり」の写真撮影も依頼されたこと
で、渡里住民の会の方々とも交流の機会が増え忙しい日々を送っています。・・・
平成28年度より正式に「渡里住民の会」の会計担当としてメンバーに加わり、
更には「水戸市社会福祉協議会渡里支部」の福祉員として地域のお手伝いを始めま
した。9月には敬老の日を迎えて地域の75歳を超える高齢者1,800人を祝い
、10月には水戸市体育祭「渡里地区市民運動会」、更に12月には「ふれあい渡
里まつり」というビックイベントに企画段階から参加することが出来、年間を通し
て充実した一年を送ることが出来ました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
渡里住民の会の一員となり会計職を担当して3年目を迎えていることから、渡里
地区市民運動会とふれあい渡里まつりの決算処理も一人で行うことが出来ました。
5月に開催された水戸市社会協議会渡里支部総会にて会計担当として承認されたこ
とで、複数の主要地域自治会の役員としての一年目が始まりました。・・・・・・
地域自治団体のお手伝いを通しての住民交流という、かつては思いもしなかったこ
とが日常となっている今、更なる充実の日々を送るために頑張り続けて行きます。
水戸市から派遣されているセンター長さんと嘱託の職員さん4名と、我々地域自
治会のメンバーが相互協力を行うことで地域が活性化し、年間を通しての自治活動
を進めることが可能となりますので、極力出勤?を心掛けての接着剤の役目を果た
すことが出来ればと考えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成30年度の一年間は充実してはいましたが、余裕を持ち続けながらの一年で
は無かったことで、何かが不足していた様な気がしてならないことから、今一度周
りを見直して自身の立ち位置を修正しようと考えています。・・・・・・・・・・
気が付けばひと回り以上先輩方が次々と役員名簿から消えていますが、まだまだ
お聞きしたいことが山ほどあることもあり、お邪魔にならぬ範囲で訪問してお話を
伺おうと考えています。改革という前進作業も大切ですが、それまでの流れを無視
しての実行には大きなリスクが生じます。その土地にあった方法を考えて進めるこ
とが最良と考えます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
令和3年5月になり総会を控えて慌ただしい頃になって、長年に渡って自治会運
営に携わっていただいた先輩のお一人が亡くなられたという一報が入りました。数
日前までの3日間はその方が町内会長を辞めるための引き継ぎとなる書類づくりを
お手伝いしていましたが、書類の完成とともに命が尽きてしまったかのようです。
令和2年中にその方を含めて3人の方々が同じような病いにより倒れ、皆さん自治
会活動から身を引く決断をされました。今回の方が一番長く40年という途方もな
い長きに渡って活躍されてきましたが、その分身体を酷使してきてしまっていたの
かも知れません。ご冥福を祈るとともに、今後の自治会運営に頑張ることが任務と
考え携わっていこうと思います・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
令和3年10月10日に住民の会と社協渡里支部を辞めましたが、それぞれの責
任者から口頭で承認を戴いたことで、ご迷惑承知の任期途中での退職ということに
なりました。これで約1年半ほど悩んだ自治会お手伝いから解放され、新たな生活
リズムを再構築して楽しい毎日が送れることを願っています。あれやこれやと言い
たいことは山ほどありますが、去りゆく者が吠えてもしょうがない事と考えて明日
からの未来のみを見つめていこうと思っています。・・・・・・・・・・・・・・
その分かどうか数日後には渡里湧水群を活かす会の活動が認められ、内閣総理大
臣賞 受賞というビックニュースが飛び込んできました。6月に事務局からの依頼
で写真を中心とする資料を用意しましたが、正式な受賞後は余波が続いて慌ただし
い毎日を送っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
令和4年8月18日より休止していた「オートグラフ・サウンド・ダイアリー」
を復活することにしましたが、長い間にレイアウトの変更や壁の一部撤去と補強、
更にはリスニングポジションの変更などによってマルチサウンド・システムの微調
整数値のチェックを行わねばならなくなっていましたので、6ヶ月ほどを掛け開始
しましたが、新たにレーザーディスクとアナログLPも一からの再設定が必要と考
えたことで、1年6か月後の令和6年1月1日を目標に総チェックを行いました。
その途中の令和5年1月にはオペラを視聴するためとして75インチモニターを
導入しましたが、たまたまNHKBS4Kの高画質番組を留守録画後に視聴したところ
、40年前に私が夢見た映像との同期による視聴が可能な時代になっていることに
気づき、こちらも含めた上での再挑戦を開始することにしました。・・・・・・・